【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

発達障害者が頼れるのは家族に障害をお持ちの方

息子達3人が発達障害と診断されて小さな時から病院へ行き来する生活を送ってきた。診察も何度受けたかもう分からない。息子達は自分のことを自分の言葉で説明できなかったり、客観的に把握できていないのですべて私が代弁する。亡くなった主人は恐らく発達障害だっただろう。私は?長女は?どうなのか?検査を受けていないから分からない。

 

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ある時、息子達の主治医に聞いてみた「先生私も発達障害ですか?」先生「お母さんは全くそうじゃない」その答えの根拠は何なのだろう。発達障害ではないがうつ病ではある。「発達障害の子供とうつ病の母」典型的な例だ。「鶏が先か卵が先か」どっちなのだろう。

 

少し視点を変えると、女の子の発達障害の方が小さい頃の発見が難しい。男の子の場合幼稚園小学校くらいでもう多動が激しかったり、コミニュケーション能力が低かったり体育が出来なすぎたりして発見されやすい。ところが、女の子の場合、運動が多少できなくてもおっとりした子と思われたり、あまり友達が出来なくても大人しい子と思われて小学校時代をすり抜けてしまう事がある。

 

本人が本格的に困ってくるのは中学校くらいから、親も発達障害と分かってないし、イジメも発達障害でなくても起きる。勉強だって得意不得意は他の子にもある。そして自分に自身が持てなくなって社会に出てから苦労する。二次障害が発生して初めて受診し発達障害とわかるケースも多い。当事者の苦労は計り知れない。女の子は大人になって分かることが多く、男女比はほぼ一緒だそうだ。

 

男の子でも女の子でも大切なのは親がいかに早く発見してあげられるかどうか。受け入れ怠けているのではなく出来ないことを理解する。こんな風に工夫しようとか、どんな学校・職業が適しているか一緒に寄り添って考えていく。個性を尊重して自信をもっていられるようにサポートできるか。当事者ではないが自分の子供の気持ちは痛いほどわかるし、能力は人一倍あるのだから自信を持ってい生きて欲しい。

 

家族に障害を持った人がいなかったり、接したことがない人に理解を求めることは難しい。病院の先生だって、学校の先生だって、机上の論理であって、当事者でも家族でもない。分かったような事を言ってるだけで当事者の本当の辛さを理解できていない。

 

頼れるのはご家族に障害をお持ちの先生だ!この人達しか頼れる人はいない。今までいろんな方にお世話になってきたけれど、本当のサポーターはこの人達しかいない。愛情を持って一緒に考えてくれる人。発達障害うつ病を発症してしまうのは二次障害が起きているに違いない。鬱だけ治そうとしても、根本的な解決にはならない。それら含めて信頼できるサポーターを探して欲しい。