【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

ヒデとロザンナのように

ロザンナさんが徹子の部屋に出ていた。以前からロザンナさんのことはメディアに出るたび、自分と重ね合わせて参考にさせてもらっている。テレビ番組ではこんなことも話していた。

 

「私はヒデの死を認めていなくて、姿こそ現さないけど絶対に私のそばにいると思っています。ごはんを食べているときも、お酒を飲んでいるときも、引っ越しをしても、私と一緒に動いている。彼がいないと思ったことはないんです」

 

私もまったく同じ。いつも夫はそばにいると思っているし、実際にそう感じることがある。夢の中にも出てくる。つい6人分の食事をよそってしまった時などだ。パパも食べたいだろうけど無理でしょ!と言いながら子供たちに分け直す。実際のところどうなのか分からないけど、困った時などいつもそばにいてくれる気がする。

 

夫が生きている時は本当にに守られていたと亡くなって18年も経ってから思う。私は最高に優しい人と結婚したなと今思う。人は亡くなるとどんどん美化される。ずっと人生を共に歩んでいたらそうはならなかったのかもしれないのだけれど、子供達も小さい楽しい思い出のまま止まっているのだ。

 

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一緒にヘリコプターに乗ったなどという”愛の軌跡”は勿論ない。

 

15歳の年の差夫婦だったが、主人が亡くなった年齢を私はすでに超えた。なんて若くしてに亡くなったのだろうと思う。私は将来ロザンナさんの様に孫にも恵まれ、一人暮らしを楽しんだりすることができるのだろうか。70歳を超えてもなおヒデさんのことを大好きなロザンナさん。憧れの人である。