【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

「楽天的に生きればあなたは必ず幸せになれる」

別れた夫と亡き夫。ひとり親になるまでの長い道のり

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↓これの前のはなし

お酒を飲もうと飲むまいと子供への暴力は絶対にいけない。

 

主人がガンの末期に行方不明になり、生死も分からず、病気で会社から傷病手当金をもらっていたが、定期的に通院したり、報告したりしなければ、本人行方不明では手当は出なくなる。実質的にはひとり親なのに、ひとり親とは認められない。このままじゃ4人の子供とどうやって生きていけばいいのか?

 

(その頃はまだ連絡を取っていた)私の弟の知り合いの知り合いの紹介で、仏教の修行をされた高僧(真言宗天台宗とかは不明なのでここではA師とする)のカウンセリングを受ける事になった。A師は政治家などにも助言するような偉い方だそうだ。カウンセリングの時は四柱推命と何種類かを組み合わせたものを使っていたような気がする。

 

A師は開口一番こう言った。

「単に結婚する相手を間違えただけです。」

「離婚する事をお勧めします。」

「人は失敗からしか学べない。」

「あなたは男運以外すべて持っている。神さまにも守られてる、先祖の霊にも守られている。金運も健康運も持っている。子宝にも恵まれる。仕事は人に物を教える仕事か、料理の道でも才能を発揮できる。使命もある。多くの本を読みなさい。」

「そして楽天的に生きればあなたは必ず幸せになれる」

「弁護士を紹介するから書類を持っていきなさい。」

 

 

それほど長い時間ではなかったと思う。私の想像していたものとかけ離れた異次元の世界のことで、カルチャーショックを受け、どうやって帰路についたのかさえ覚えていない。

 

要するに結婚する相手を間違えたらしい(←身もふたもない言われようだ)離婚しなければ子供たちを守っていけないのは確かだった。紹介状を書いてもらい弁護士さんに会いに行く事にした。

 

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その弁護士さんM先生、70歳くらいの葉巻でも吸っているようなハードボイルドで大柄でカッコいい迫力ある先生だった。秘書の方も同じく優秀な方だった。M先生は法学部卒業後普通の会社に就職しようと思っていたが、全部落ちたから仕方なく司法試験を受けたら1回で受かったそうだ。

 

新橋にある法律事務所に初めて行くとき、A師が一緒に行ってくれるという話だったのだが、A師の仕事の都合で私一人で行く事になった。M先生と秘書の方は、私の顔をしげしげと見ながらこう言った「A師とはあのそのどういったご関係で?」「はっはい?おっしゃっている意味が分からないのですが…。弟の紹介で先日一度永田町のビルでカウンセリングを受けたときに初めてお会いしただけでよく知らないのですが…。」と答えると、2人はワハハと笑いながら「そうだよね~あ~ごめんごめん。A師が付いてくるかもとか言うからてっきり…。」その話は二度と出ることはなかった。

 

それがM先生との出会いである。M先生に宿題を出された。「次に来る時までに今までにあった事全てを書いてきなさい。」「はい。」

 

一生懸命書いた。何日も寝ずに書いた。最初は鉛筆であったことを殴り書きし、何度も順番を並び替えたり、削ったり、加えたり。すごいページ数になった。小室圭さんにも負けている気がしない。

 

次に会った時、早速それを渡して読んでもらった。どんな反応か、離婚調停できそうか、親権は取れそうか?どのくらい時間がかかりそうか?何を言われるか緊張して読み終わるのを待った。

 

M先生はこう言った。「この若さでこれだけの文章を書ける人なかなかいないよ!」「え?」「大丈夫!これだけしっかりしたものがあれば後はこっちで証拠を固めて、小さな子供4人いるんだからって言って出来るだけ早くさせるから。」人生で初めて作文をほめられた瞬間だった。

 

A師にはその後お会いする機会はなかったが、「楽天的に生きればあなたは必ず幸せになれる。」は真面目過ぎる(自分で言うのもなんですが)私にはぴったりな励ましの言葉だった。

 

M先生のお陰で失踪後半年という驚異的な速さで地方裁判所での離婚訴訟は終わった。M先生は弁護士費用を本当にかかった実費しかとらなかった。「その代わり大変だと思うけど頑張るんだよ。」と励まされた。その後次の事件までは普通に年賀状を送ったり連絡だけは取り続けていた。

 

 

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