発達障害だっていいじゃない  ~カサンドラに花束を~

発達障害(自閉症スペクトラム)ADHD LD カサンドラ症候群 でも大丈夫!

2000年生まれの子(ミレニアムベビー)は金運と財運を運んでくる⁈双子の息子の話➀

双子の息子達はミレニアムベビーと呼ばれる2000年生まれの辰年だ。2000年生まれの子は金運と財運を運んでくると言われており、諸手を挙げて喜んだのだが、全く考えが甘かった。

 

予定日は5月なのに2月に生まれてしまったので1学年早くなってしまった。1200gと1300gの小さな赤ちゃん。早すぎる出産に張り止めの点滴を24時間したがせっかちな息子達はこの世に見参した。

 

見参したとは言え弱々しく3ヶ月もNICUのお世話になった。その頃は体重が1000gあったら助かる可能性がまあまあ高いと言われていた頃ではあるが、「生理的体重減少」により1000gをきってしまった時期もあった。最初のひと月は命が危険な事も何度かあったが、二人の泣き声が元気よく廊下まで響き渡るようにまでになった。看護師さん曰く、双子の未熟児ちゃんは比較的元気が良いそうだ。

 

退院しようにも、主人が入院中だったこともあり、日程調整が大変だった。NICUでは体重に見合った量(30㏄)のミルクを与えてくれるのだが、うちの次男には足りないようで、泣き過ぎてほっぺたが宍戸錠みたいになっていた。だから急いで退院させてもらう事にした。帰宅すると100㏄のミルクを一気に飲み干し驚いてしまった。

f:id:SMMS:20211117230024j:plain

長女とは修正月齢で2年半くらい離れている。

低出生体重児や早産児の赤ちゃんの発育・発達は、生後1か月といっても、正期産(せいきさん)で生まれた赤ちゃんとはまったく違います。
そこで、もともとの予定日を生まれた日と仮定して、そこから数えた月齢を「修正月齢」として発育・発達をみていきます。(ひよこクラブより引用)

長女も食べ物の好き嫌いがはげしくて、白い物(ご飯、豆腐、大根など)しか食べてくれなかった。離乳食の頃には三つ子状態になった。お粥状のご飯にひきわり納豆とか小鳥に与えるみたいに、3人の口に順番にいれてたなあ~。

 

そんな平和な日々がずっと続くと思っていたのだが、主人の再入院のタイミングで保育園に1歳半から通うことになった。おかげでバランスの取れた食事がとれたとも言える。1歳児クラス、2歳児クラスの時はまだ良かったのだが、3~5歳児クラスに上がった時は、2人だけ赤ちゃんが混ざったみたいになってしまって、補助の先生が3年間付いてくれた。

 

3歳児検診の時に主治医の先生と初めてお会いした。「言葉が遅すぎる。」「でも訓練のしようがないわけではない。」と言われ、小児病院で検査やOTやST の訓練を受けるようになった。先生は分かっていたのだろうけど私には「発達障害です。」とは言わなかったのでしばらくしてから知ることになった。

 

ADHD傾向の強い次男の武勇伝は数知れずある。まあ~じっとしていられない。右向いて左向いてを高速で繰り返したり、顎を高速で上下させたり、同じ場所でくるくる回るなんて可愛い方である。

年長さんの卒業遠足のバスを、三輪車で追いかけて門の所でぶつかり、門にしがみついて泣き続け、保育士さんから同情されたこともある。また実家からカニをいただいて食べたのだが足りなかった次男は永遠と1時間半もカニ食べた~~い!」と泣き続けた。

ある時はジャングルジムの上の方で手も足も離して保育士さんにキャッチされたり、ある時は仰向けで足をバタバタさせて抗議し、その勢いでテレビボードのガラスを蹴り破ったこともある。

 

長男の方は、怖がりで、皮膚の感覚が敏感。外遊びの時間中ずっと砂場の定位置で女の子とおままごとをしているような子だった。病院の訓練ではビニールボールのプールに飛び込む練習とか、箸で消しゴムを運ぶようなトレーニングが多かった。

 

保育園の補助の先生は当時女子アメフトの現役選手で元気な先生だった。根気よく箸や鉛筆、ハサミの持ち方、トイレトレーニング、体力づくりの散歩に連れて行ってくれたりした。その先生のお陰で(体は小さいが)小学生になれたと思っている。

 

未熟児でも、発達障害児でも、保育園の間は、温かく見守られ無事に通うことができた。小学生になると彼らにも試練が待ち受けている。

 

そういえば金運と財運の話がどこかへ行ってしまったが、当たらずといえども遠からずとだけ言っておこう。