【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

特別支援学校中学部へ双子の息子達の話④

発達障害の双子の息子達、中1の秋から都立の特別支援学校に転校した。PTSDになってしまったが、転校すると決まってから少しずつ回復した。教育支援室の皆さんや、通級学級の皆さんに温かく支えてもらい、転校までの間なんとか有意義に過ごせたと思う。

 

そして待ちに待った支援学校での日々が始まった。肢体不自由の特別支援学校には車椅子の子や、気管切開している子や、隣接する病院から通学する子もいる。知的な遅れのある子もない子もいる。

 

1学年の人数は10人程度だった。小学部・中学部・高等部を合わせると生徒数はかなり多い。しかし先生の数も同じくらい多い。その頃は支援員さんや補助の方々はいなくて、すべてを先生が担っていたから今とだいぶ感じが違うかもしれない。

 

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さらに学力別で授業を受けるから部屋の数も足りない。倉庫みたいな部屋をさらに半分にして、双子二人に先生ひとり、床面積3~4畳半くらい?で授業が行われた。そして給食も、色々な形状の食事を生徒に合わせて給食室で作ってくれるので、格別に美味しいそうだ。

 

4ヶ月ぶりに勉強をしっかりと教えてもらった。どの科目の先生も4か月間の遅れを取り戻そうとしてくれた。一度PTAの仕事で学校に行ったときに廊下から教室をのぞいたら、爆睡中の双子に先生ひとりで授業をしているという、全くもって申し訳ない光景に遭遇したことがある。

 

PTAといえば、特別支援学校に転校してすぐ臨時PTA総会に出席した。そしたら小学校2年生くらいの子のお母さんが壇上から訴えかけていた。

 

(その方の息子さんはステロイドのお薬を飲んでいるのでどうしても太ってしまい気にしていた。なのに担任の先生から「背油」というあだ名をつけられてからかわれた。その後先生が怖くなり、学校にも行きたがらなくなってしまった。先生に伝えたが相手にしてもらえなかった。)

 

という衝撃の事実だった。差別的だし、パワハラだし、抗議しても聞く耳も持たないなんて!しかも校長からの注意で終わりで、今も平気で仕事しているということだった。「初めての子だからこういう時どうしたらよいのか全く分からなくて~。」とその若いお母さんは泣いていた。PTA会長さんも「そういう時の為のPTAなのに役に立てなくて本当に申し訳ない。かわいそうな事しちゃったね~。ごめんね~。」と一緒に泣いていた。

 

特別支援学校にお子さんを通わせているお母さんたちは優しくて元気な人が多い。あえて元気にしているのかもしれない。でも中には人付き合いがすごく苦手な人もいるので、役員の順番が回ってくるのがめちゃくちゃ早い。小学部で2回、中学部で1回、高等部で1回はやらないと回らない。私も1回広報をさせてもらった。

 

いじめとは無縁の世界と思いきや、先生からのパワハラがある。3年の時の国語の先生は、国語が得意な息子達に良い点が取れないように難問ばかりをテストに出す。それで、以前にも書いたが、「本文中の言葉で答えなさい」という問題なのに本文中に答えが無かったり、問題集の答えでは○になっているのに、なんだかんだ理由を付けて×にしたり。出題範囲を間違えて教えたりしてきた。テスト中、息子が問題を解く時に足を広げて向かい合ってイスに座り圧力をかけているのを私も目撃した。

 

大したことではないように見えるが、都立高校を受験しようとしている息子達には内申点は重要なのだ。こっちだって必死だ。自立訓練の先生に相談し、少し改善した。でも修学旅行の時、特別支援学校の場合は生徒だけの部屋割りにしないのだが、息子達が断固として担任と一緒に寝るのは勘弁してほしいと訴えたため、別の先生が二人が寝付くまで部屋にいてくれたそうだ。そしてその時の修学旅行に同行してくれたのが、今の主治医になる。

 

パワハラなども無くはないが、ゴミ箱に突っ込まれたり、トイレに閉じ込められたりした中学1年と時と比べれば、通わせていてはるかに安心だったし、息子達も自信を回復したように思う。パワハラが必ずある訳ではなく良い先生ばかりで、ごく一部にそういう先生がいたというだけなのだと思う。何回か登場しているが、学習支援でお世話になった特別支援学校の仙人Y先生曰く、「どうしても3割くらいあまり向いて無い先生が混ざっちゃうんだよね」との事だった。長くなってしまったので続きはまた。

 

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