【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

あなたのドクターFは必ず見つかる

今までブログの中であらゆる場面で多くの方々に助けていただいたお話をしてきたが、肝心なF先生のことをまだ書いていない。

 

世界で最も尊敬する女性医師F先生。双子が3歳時検診の時、初めてお会いした。発語が遅すぎる事、訓練のしようがない訳では無いことから、病院を紹介してもらい通うようになった。OTやSTの訓練にも行ったが、月に1度の診察も受けた。最初に会った時は確か主人も一緒だった。でもすぐに行方不明になり、F先生にその事を話すと「信じられないような話ねえ。」と言葉を失っていた。

 

初めて会った時から、F先生は杖をついて、度の強い眼鏡をかけ、グレイヘアーをひとつにまとめていておばあちゃんぽかった。でもものすごく綺麗だった。声も鼻から抜けたチャーミングな甘い声で「○○さん○番の診察室へどうぞ。」とスピーカー越しに呼んでくれる。

 

しかし、その甘く優しいイメージとは裏腹に、非常にさっぱりした男気を感じる先生でもあった。「杖でエレベーターのボタンを押している」という伝説の真偽は不明だ。(杖でボタン押せるんなら杖要らないよね)

 

小学校に上がる時も転校する時も、通級に通うときも、お薬を飲み始めたときも、特別支援学校に転校する時も、手帳の申請する時もいつも何でも相談してきた。息子達の高校卒業と同時にF先生が引退されるまでずっと診てもらった。初めて会った時からその美しさは全く変わらないように思う。

 

F先生なくしては語れない。勝手に自分の母の様に慕っている。F先生が本当に自分の母だったらどんなに良いだろうといつも思う。1ヶ月に1回しか相談出来ないから、相談したい事をいつもメモして持っていき、その場でまたメモって帰ってきた。F先生に合うと安心できた。

 

F先生は「お母さんが上手に育ててるから大丈夫よ。」とよく言ってくれた。初めて会った時から、息子達が発達障害だと分かっていたはずなのに私にハッキリと教えてくれたのは7~8年後の診断書を書いてもらった時だ。それまでは「特性」という言葉で説明されていたような気がする。双子が高校くらいの時に「もう育てる自信がありません。」と私が泣きながら言うと「あらあら、珍しいわね。」と笑われたこともある。

 

今日も紹介状が出来上がっていたので小児病院に行ったがF先生はいなかった。まだ時々診察におみえになっているらしいのだが、ここ数年会えていない。お元気なのは確かである。

 

いつも自分の子供たちの話ばかりをしてきたが、先生の私生活については聞くのは失礼かなと思ってずっと聞けずにいた。診てもらい始めて15年目、最後の最後に「二人息子がいて、苦労しています。」と「わたし不器用で運転できないのよ。」の二つだけ聞きだすことができた。

 

F先生がご健在で小児病院に聞けば今でも連絡が取れると分かっているからいいようなものの、もしもの時のことを考えると、考えたくないのだけど、考えただけで泣きそうになる。F先生が大好きだ。

 

もしも今小さな発達障害のお子さんを抱えたシングルマザーの方がいらしたらこう伝えたい。「あなたのドクターFは必ず見つかる」

 

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