【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

夢のような一年

これを書かずにはいられない大事な大学4年時の話。以前「パラレルワールド」の記事に書いた通り、将来の夢を見失った私は、大学入学後ほとんど勉強しなかった。ここで殆どと書いたのは、最低限はしていたからである。

 

理系の大学は2年生以降年間を通して午後実習がある。午後1時くらいから始まって、大体6時か7時、遅い時はもっとかかることもある。翌朝9時にレポート提出。これをやらないと単位が取れない。午前中の学科のテストは奇特なお友達に出席の丸を付けてもらい、部活の先輩に過去問をもらう。実習の時は同じ班に学年トップの女の子がいたので全て教えてもらえた。

 

要領よく4年生になれてしまったが、なんか違うなあと反省する時がついにやって来た!同じ研究室になった子達と、卒論テーマを選ぶことになったのだが、どうも興味がわかない。どうしようかな~と思っている時に、外研(外の大学に卒論を書きに行く事)に出ていた先輩が研究室に勧誘に来たのだ。「自分の年度だけで終わらせたくないから誰か興味のある人がいたら来ない?」と声をかけられ卒論テーマを見せてもらい一目惚れし、二つ返事で引き受けた。

 

日本でもっとも有名なT大学。以前アルバイトでT大学の大学院生のお手伝いに行ったことはあったが、今度は1年間通えることになった。研究室は放射線を使う棟のそばにあり、敷地の端のひっそりとした場所に位置している。しかし中はまるでスペースシャトルみたいな空間だった。

 

そのスペースシャトルのような建物の中に研究室があり、教授と助教授、技官さんや、実験補助と事務補助の大学生(別大学の夜学に通っている)がいた。皆さんとても都会的だったり、田舎者だったり、優秀で変人だった。外国の方が来るとめちゃくちゃおしゃべりになるが、そのほかの時間は私の独壇場だった。とは言え、朝から晩まで一年中実験データを取り続け、休み時間は皆さんとお喋りしまくる。名古屋空港で飛行機を使った実験にも連れていってもらいパイロットのあまりの格好良さに撃沈したこともある。研究室に毛利衛さんがいらしたこともある。その時撮ってもらった写真は家宝物だ。

 

先生(教授)と技官の方には特にかわいがってもらった。いつも私みたいな子供のくだらない話を面白そうに聞いてくれたし、私なんかのアイディアを実験に採用してくれたりした。時にはご飯に連れて行ってくれて生まれて初めてちゃんこ鍋屋さんにも行った。その時はなんで白子を食べさせようとするのかさっぱり意味が分からなかった。

 

その頃はまだ研究室に1~2台くらいMacがあるくらいだったが、卒論を書くにあたって事務補助の人(他大学の工学部女子)に色々教えてもらったが、彼女はテトリスの天才で、彼女がテトリスを始めると飽きるまで卒論が書かせてもらえないという悲劇がたびたび起きた。

 

また技官の方の住処は隣の建物の地下にあり、工学部の学生さんたちが入り浸っている所で、秘密基地みたいだった。彼は頑なに98を使い続けたパイオニアだと思う。機械屋さんで何でも作ってしまう。彫金もするし、裁縫もするし、器用な人だ。あえて言うなら、センスが足りない。(致命傷だが実験器具を作る分には問題ない。)

 

優秀で多彩な人々に囲まれ、本当に充実した夢のような時間を過ごした。ここでの1年がやる気の源であり、ターニングポイントであり、私の人生のホームベースになっていることは間違いない。

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