【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

検査技師時代の話 Part1

子供たち4人全員が保育園児だったころ(5歳児・3歳児・3歳児・0歳児クラス)、主人も退院し身体の具合が落ち着いていたので、園長先生から「お母さん内職でも良いから何か出来る?」と働くよう促された。専業主婦だったし、4児の母で、主人のガン。自分の就職についてなどとっても考えられずにいたのだが、0歳児クラスに検査技師のママがいた。そのママが「○○さん検査技師の求人出てたから行ってみなよ。そういう学校出てるんだから、こういう仕事しなくちゃもったいないよ。」と求人広告の切り抜きを持ってきてくれたのだ。ですが新卒の時に検査の仕事に就けなかったので、検査は全くの初心者。でもまあダメもとで受けてみようかなあと考え始めた。

 

そんな求人が新聞の求人広告に出てるんだ~!とまず驚いた。水質検査や尿検査などを受けている会社でパートタイマーの募集だったし、自転車で通える距離だったし、折角ママ友が持ってきてくれたんだから面接だけでも受けてみる事にした。面接を受けに行ったら、同じ大学の先輩が何人かいた。検査技師業界は非常に狭い世界なのだ。同じ大学の後輩だから採用してくれたのかどうかは分からないが、1人採用の枠に2人採用してくれた。もう1人の人は大学院卒の優秀な方だった。

 

この仕事を始めて2日目に主人が行方不明になった。ほぼ初対面の大学の先輩に「病気療養中の主人が行方不明になってしまって」という話をしたら、冷たい態度をとられた。主人が行方不明になってどうして私が白い目で見られなくちゃいけないのだろう。同じ大学の先輩といえども親しみはわかなかった。

 

検査技師経験のない私は、実験器具を扱うのは学生の時以来だったので、何でも一から覚え直した。その点同じ学校卒の先輩は超厳しい後輩の出来が悪いと自分のキャリアにも傷がつくからだろう。何度も何度も練習し、分析用電子上皿天秤は合格をもらえた。マイクロピペットも合格をもらえた。(こういう精密機械はアナログなホールピペットなどより簡単なのだ。)ちょっとマニアックな用語が並んでしまったが分析の基本の道具(微量の粉末の重さや液体の体積を正確に測る)と考えて欲しい。

 

でも検査技師業界、最低限の合格をもらったくらいじゃ仕事は任せてもらえない。女の戦場なのだ。教授の秘書として働いている人以外はみんなライバルだ。学閥もあるので、○○大学卒グループ、その他大のグループ、修士のグループなど水面下での競争がある。みんなで教授のご機嫌取りをする。ハッキリいって馬鹿馬鹿しいし息苦しい。

 

そこでしばらく働いていたのだが、年度末で分室が栃木のとても通えない場所に移転する事になったので、また就職活動をしなければならなくなってしまった。またしても新聞の求人広告にタイミングよく募集が出ていた。なんと国立の研究所の臨時職員だった。早速電話し面接を受けに行った。検査技師さんが産休で休みに入るので、本当に臨時で募集していたようだった。

 

面接に行くと研究員(国家公務員第1種に合格した研究職の医師)の人と面接した。その先生の直属の助手の募集だったようだった。何故か知らないけど採用してもらえ、そちらの研究所で働くことになった。元いた検査会社の先輩たちに「栃木まで行くことは出来ないので他社の面接を受けたら採用してもらえたので、年度末までいられず申し訳ないのですが辞めさせてください。」というと表面的には「良かったじゃん。すごいじゃん。」と言っていただいたが、栃木まで通えないのは皆一緒だったし、他の先輩たちは私よりみんな年上だから転職するには不利である。心中穏やかではなかったとしても当たり前だ。

 

短い期間でしたが検査技師として初めて雇ってもらえたことが次の就職に繋がったのだと思います。私は別の仕事が決まったけど、他の人達は、栃木についていったみたいだった。家族はどうしたのだろう。

 

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