【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

発達障害双子の息子達高校受験をする⑤

特別支援学校中学部に転校した息子達。中学に入学当時と比べるとはるかに元気になり、修学旅行に行ったところまでお話しました。

 

高校はどうするか…。いじめを受けPTSDになってしまい、手帳を持っていたため特別支援学校中学部へ転校しましたが、PTSDが良くなった今、高校は特別支援学校の高等部に進むべきなのか?

 

息子たちの身体的な障害は軽い。発達障害は重いが知的な遅れはない。彼らが将来ずっと支援を受けられるかどうかはわからない。そして本人たちは将来のことを考える力が弱い。だから私は彼らの代わりに考えなければならなかった。

 

2学年上の長女は単位制無学年制定時制の公立高校を受験し高校生活を送っていた。その学校はクラス単位の授業はホームルームのみで、あとは自分で選択した授業に出る大学みたいなところだった。そして体育の授業も種目を選べる。うちの子達は皆、運動音痴なのだが水泳のみ普通にできる。室内プールのある公立高校。体育は3年間水泳だけとることが可能だった。「クラス単位の授業がないのと、体育が水泳だけで良い。」これがこの学校を志望する理由となった。

 

特別支援学校の先生たちのご協力もあり、また合理的配慮も受けて合格することができた。合理的配慮については、以前の記事にも書きましたが、前もって東京都にどんな支援が必要かを届け出し、それについて審議が行われ、決定通知が送られてくる。発達障害の子は集中するまでに時間がかかるので、15分多く時間が与えられたり、人が多いところが苦手な子には別室受験ができたり、方向が分かりにくい子には、受験する教室やトイレへの誘導などが認められる。

 

高校ではパソコンの授業の多い科を選択したので、通常授業+情報科の授業となり、結構ハードなスケジュールだった。特に大学受験の勉強する時間の確保が難しかった。また科目ごとに違う教室で選択した科目の授業を受けるので、広い校舎を短い時間で行ったり来たり、忘れ物せずに移動するのも大変だったようだ。

 

クラスごとの授業がないのでこの学校はイジメは全くないが、友達もなかなかできなかった。双子でまったく同じ授業を履修しているわけではないので、学校ではお昼休みに会い、帰りが同じ時間なら一緒に帰ってきていた。クラスの子は3年間同じなので顔見知り程度には仲良くできたようだった。

 

今考えてみても、それが良かったのか、それが悪かったのか?結論が出ない。っというのも、もちろんPTSDから立ち直れ、多くの支援を受け一般受験し、クラスごとの授業のない、イジメのない高校に進学し、大学受験もどこかしらに合格することができた。

 

だけど、かえってそのせいで大学入学後の挫折に繋がったのかもしれないと思う。挫折するのは悪いことではないが、イジメられないようにガードしすぎて、同学年の子とのコミュニケーションの練習が少なすぎたのかもしれない。

 

将来のこと、来年のこと、来月のこと、来週のこと、もっと言えば明日のことを想像する力が弱い。典型的な学習障害の症状だ(4つのうちの「推論すること」ができない)。だから、進路を考えるとき私の責任が非常に大きくなってしまう。健常の発達をしている子なら、将来の夢や、予定が考えられる年齢だが、彼らには難しいのだ。

 

大切なのは逆算志向を教えることだと思う。高校生の時点では息子たちに十分に教えられていなかったなあと思う。目標を先に決めて、逆算して計画を立てていく。大きな目標を立てて、次にそのためにじゃあどうする。その次にじゃあ明日どうする。今日どうする。と短い予定を立てられるようになる。

 

人間関係の練習と、逆算志向の練習がもっとできたらよかったなあと思っている。

 

 

 

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