【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

不条理に対する私なりの抵抗①

かなり長い間、自分の回顧録を書くのをやめてしまっていましたが、なぜか突然無性に書きたくなったので、お話の続きを書こうと思います。

 

主人が亡くなり、弁護士さんに助けてもらってひとり親家庭になった私と4人の子供達。いつもは子供に発達障害があるために、子供中心の時間軸でブログを更新してしまうのですが、今日は自分の時間軸で自己中心的に思い返してみます。

 

限界点

19年くらい前、偶然なのか主人の目論見なのか?主人が亡くなる直前に検査技師の仕事に就けましたが、(仕事→保育園→食事→洗濯→お風呂入れ→おむつ替え→寝かしつけ→保育園の準備→3時間睡眠→保育園に連れていく)×4人分をずっとやっていた訳です。

 

そんな生活は長くは続くはずもありませんでした。やはり人間限界があるのでしょう。3年くらいたったある日、体がだるくて起き上がれなくなりました。それでも子どもたちを保育園に何とか連れていき、病院に行きました。

 

何か所かの病院に行き、胃カメラまで飲んだりしましたが、胃潰瘍が治った跡があるくらいで、特に体の異常はなく、それでも具合が良くならないので心療内科を訪ねました。「自律神経失調症でしょう。それだけのことがあったら誰だってこうなる。」お医者様の言葉に涙が溢れました。しばらく引っ越すまでそちらの病院に通いました。

 

隣の家

主人が亡くなるもっと前。(はじめから私たち家族を住まわせて家賃を取ろうという魂胆で)私の父が実家の隣の家を定年前にローンを組んで買った家。何の相談もなく勝手に買っておきながら、私たち家族に住め!というか住まわせてやる!みたいなことを言いながら家賃を12万円もとられて強制的に住まわされていました。

 

しかし、父が当てにしていた主人は癌になり、結果亡くなってしまい。父の当たり所はなぜか私の子供達になりました。主人に顔が似てるとか、根性が似てるとか…。更には発達障害なのも全く理解せずに、お前の育て方が悪いからだ!とか、まだ3歳にもならない子がオムツをしているのは当たり前なのにクセー!だ。汚ねーだ!罵倒される日々。

 

寄生虫

その一方で、主人の退職金や生命保険が少しあるのを知っている両親は、寄生虫のように私にくっついて離れない。もちろん家賃も払い続けていた。しかも「孫の世話をさせられて大変だ!」と近所中・親戚中に言いふらされる。実際には世話をしていたのは私の方だったのではないのかと思う。

 

母に至っては、父にも内緒で私にお金を借りに来る。「すぐ返すから30万円貸してくれない?」すぐにかえしてきたことなど一度もない。借りたことすら忘れてしまう。挙句の果てには弟がFXで損した分を私に貸してくれと言ってくる始末。会社に勤めているときも(毎月十万円)、結婚してからも、主人が死んでからもなお、いつでも母に全部取られてきた。いくら大学まで行かせてもらったとはいえ、何倍返したらいいのだ。この家から一刻も早く脱出するために早く結婚したのに。

 

脱出

実家の隣のこの家から脱出したい。何年も計画を立てていた。費用の問題、保証人の問題、保育園や小学校の転校の問題、たくさんの課題があった。ひとり親になったのが末息子6か月の時で、都営住宅に当たって脱出することができたのは、小学2年生になってすぐの時だから6~7年は耐えた。都営住宅に当たっても、家賃がもらえなくなるのが嫌な母は「もう少しだけ待ってくれない。」などと言い、何も知らないアル中の父に至っては「勘当だ!勝手にしろ!」と言っていた。

 

それでも子供たちが受ける身体的暴力や言葉の暴力、金銭的に依存され続け子供たちの進学のための費用がなくなってしまうことは、絶対に許せないし、守らなければならなかったのだ。

 

引っ越す前から、身体の具合はずっと悪く、一日中起きていられないくらいだったけど、子どもたちが学校や保育園に行っている間に体を休め、何とか家事育児を行っている状態が続いた。当然外に仕事に行くことなどできなかった。

 

距離

しかし引っ越した後も、実家から数駅ほどしか離れていない都営住宅なので勘当されたはずの私の家に両親はしだいに金の無心にやってくるようになった。(電車代をけちるため自転車で)それからさらに5~6年後、ある事件が起こった。その事件についてはまた次回。

 

とにかく引っ越して5~6年の間は、両親との距離が以前よりとれて、物理的にも精神的にも独りきりだったけど、発達障害の息子たちがいじめられたり、転校したり、そちらの方が心配で大変で実家との関係についてはできるだけ考えないようにした。発達障害の子供達の子育てで両親のお世話になったことなど全くない。あてにもしてないし、いかに距離を保つかしか考えたことがなかった。

 

宿命

心暖かな沢山の恩人達の助けがあったから息子たちを育ててこれたのは明らかである。子どもたちを守ることが私の宿命であり運命に対する私の抵抗である。早起きしてざ~と書いたので沢山の修正箇所があるかもしれないが、出勤する前にアップしておこう。

 

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