【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

子供が不登校になった時どうするべきか(2)

smms.hatenablog.jp

今日はこの記事の続きです。

小学1年生の9月から学校に通えなくなった末息子。引っ越しを機に2年生から支援学級に入れてもらう事になった。支援学級業界?ではレジェンド的なS先生の体験授業が気に入り、通えるようになった。

 

担任になったK先生、この先生結構チャラい感じを出しているが、めちゃ兄貴肌のセンスの良い先生だった。子供にも大人気だったし、勉強も体育(水泳)もよく見てくれた。個性豊かな子供たちを大きな器で受け入れてくれた。こだわりの強い子に対して、「おめえさ~。しょうがねえなあ~。だいじょぶだって言ってんじゃねかよお。」などきつく感じるかもしれない言葉全てに愛情がこもっていてさらりと受け流してくれた。K先生の神対応と、上の学年の子達の優しさに恵まれ2~3年は最高に楽しかったと思う。

 

しかしK先生のまさかの異動。4年生になってからまた暗雲が立ち込めた。乱暴な口の悪い子たちと同じクラスになった。その時の担任の先生では手に負えなかった。その子たちのターゲットになるとキックだパンチだ、○ンチだ、オ○ッコだって大声で叫びながらターゲットの周りを回り続ける。そんな毎日が続くのでそれが普通になっていちいち注意しなくなったのだろう。全く勉強どころではない。その子たちにかかりきりで他の子は自習。特別支援学級で自習って何?と私も思っていたので、何とかしてほしいと学校側にもお願いしたのだけど、5年生になる頃には再び不登校になった。

 

引っ越しをするときに特別支援学級に入れてもらったのが間違いだったのか。息子は勉強したいし友達も作りたいと言っていたがかなわなかった。また炬燵に逆戻りした。

 

5年生の間が一番辛くまた親子二人で一緒にひきこもりになった。息子の主治医のF先生(母のような存在)にその話をしたところ、「病院の学習支援を受けてみる?」と聞かれもちろん「はい。是非お願いします。」と答えた。

 

学習支援のY先生というのがまた仙人のようなお方でして、元々国立の教育大学の特別支援の教授をしていらした方だった。週1回病院の別棟に通い1対1で数独と漢字の勉強をする。書字障害の息子には漢字の勉強は最も嫌なものだったろう。

 

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初めは嫌がって鉛筆を床に投げたりした。でもY先生は表情一つ変えずじっと息子が鉛筆を拾うのを待った。しばらくすると息子は自分で投げた鉛筆を拾ってきて勉強を始めた。まるでマジックのようだった。私もY先生にありとあらゆる質問をして知識を得た。「一番大切なのは待つことだよ。」Y先生は言った。Y先生の息子さんの一人も自閉症だそうだ。

 

Y先生の授業を受けたい子は沢山いたがY先生もお歳なので人数を制限されていた。それでも1年くらい通わせてもらえた。Y先生の所で取り入れている数学検定も10級から始め、準2級まで合格した。なぜ数検や漢検を取り入れているのか質問したところ、客観的な証明になるのと自信が持てる事、失敗しても諦めずに何回でもチャレンジする事を覚えるためだと言っていた。Y先生のお陰で自分で勉強をする習慣がついた。決して受け身でない独学する力。息子にとって最高の宝物だと思う。

 

Y先生は自分の携帯電話の番号も教えてくれるし、繋がらなくても必ずかけ直してくれる。80歳くらいだったと思うのだが若いころは遊び人だったという色気のあるチャーミングな人だ。Y先生にはたくさんのことを教えてもらった。ここ何年か連絡していないがY先生がお元気でいらっしゃると思いたい。

 

病院にも不登校の相談ができるし、ひそかに学習支援というシステムが存在する可能性がある。主治医がいるという事はとても大切だと思う。つづきはまた。