【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

検査技師時代の話 Part2

次の研究所は扱うものが全く違った。薬剤耐性菌の研究をしている部に配属になった。まずバイオハザード講習というのを受けて試験で6割以上出来ないと実験室に入る資格が得られない。多分ギリギリ6割だったと思う。なんとか馬鹿にされずに済んだ。

 

研究員の先生1人につき検査技師が1人くらいの割合でいるが、あとは博士課程の学生さんや、研究職の人ばかりで、気軽に話しかけられるのは事務員さんなど少数だった。研究員の先生たちは国立大の医学部を出て医師免許を持ち、国家公務員試験第1種に合格しているエリートばかり。唯一同じ大学卒の薬剤師免許を持つ後輩がいたが、博士課程を修了し、国家公務員試験第1種に合格している人なので、後輩などといったら失礼だし、彼は私と同じ大学なのが嫌そうだった。

 

最初の仕事はまず細菌を培養する培地(ゼラチンを含む)をシャーレに作る。フラスコに培地の素と精製水を入れ、高温にして溶かす。それを50度くらいまで冷ましたら、一気に実験用シャーレ50~100枚に流し込み常温に冷まして固体にする。シャーレのふたを開けるのでドラフトチェンバー(よくテレビに出てくるショーケースみたいな実験器具)の中で行う。きちんと溶けてなかったり、温度が高すぎたり、また注ぐのが遅いと培地の表面が凸凹してしまう。すると検体を分離する際に液体を塗りにくいのだ。これが上手く作れるようになるまで特訓した。液クロ(液体クロマトグラフィー)で、同じ検体で同じバンドが出るまで何度も何度も練習した。

 

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培地が出来るようになったら、調べたい検体を培地にサーっと高速で塗り、コロニーを分離する。その中のひとつのコロニーを取って遺伝子検査をする。複数の細菌が混ざっていると検査できないからだ。今度は一つのコロニーから取った検体を培地に塗り、その上に抗生物質のチップを複数おいていく、抗体があれば阻止円が出来る。阻止円が出来なければその細菌が薬剤耐性を獲得しているという事になる。複数のチップを置いているので、阻止円のできた薬剤を投与すればその患者さんは助かる。しかし検体が研究所に届いた時点でもう患者さんは死亡している。

 

また別の仕事も色々ある。先生の研究の補助。その一つはPCRの機械を使って遺伝子操作をして、何か難しい論文のデータを作る。検査技師は先生の手足になる。計画や結果や判断は全て先生の仕事だ。私は冷凍庫から試薬を出して、検体に何と何を入れて撹拌して機械に入れてセットして、出来上がったデータと検体を先生のところに持って行ってハイお疲れ様!

 

初めはお給料をもらう為と思い与えられた仕事をしてきたが、やりがいは感じられない。耐性菌の検査をしても患者さんはもう死亡してるし、PCRの準備をするだけで何の研究をしているのかもわからない。先生によってはお金をもらうために研究しているふりをしているのではないかと思ってしまう。なぜ医師免許を持っているのに研究職についているかというと、臨床にあまりに向いていないか、夜勤もないし楽だからじゃないかと思う。お医者さんなら病院で患者さんを診て欲しい。

 

しかも私のついた先生は新婚さんで、奥さんが妊娠中だったため欲求不満だったのかセクハラまでしてくる。ドラフトチェンバーに向かい合って教えるという名目で太ももをくっ付けてきたり、検査結果と検体を持っていくと(もちろん手袋越しなのだが)手を握ってきたりする。産休明けの検査技師さんが来るまでは地獄だった。

 

産休明けの検査技師さんがきてからはセクハラはなくなったが、その人にとっては私は邪魔ものでしかなく私の仕事をすべて奪っていく。だから試験管などの洗い物や、高圧蒸気滅菌という機械に何でもかんでも入れて滅菌したり、次亜塩素酸で消毒しまくった。

 

仕事は見つければいくらでもあるのだが、それ以上に辛かったのはその人の競争心だ。歳は私より2才上。ライバル校の出身(私はライバルなどと思っていなかったのだが)。大学の代表者かよ!ってくらい牽制してくる。高校時代新体操ばかりやっていたから一浪したらしいが、新体操って向き不向きがあるでしょうに…(-_-;)。

 

高学歴の集団の中で、二流大学出身で肩身が狭い思いをしながら精一杯頑張ったなと思う。主人の遺骨が見つかった後、体調が急激に悪くなり続けられなくなってしまった。検査技師をやっているとか言うと聞こえはいいが、末端労働者であることには変わりない。一般社会とかけ離れた非常識な社会で、どんなに努力してもむくわれない。国家公務員試験第1種に合格しない限り永久に末端労働者なのだ。やはり新卒の時に正社員として会社に就職出来れば一番理想だった。突然のバブル崩壊の影響が今もなお影を落としている。ただ今になって思えば、やりがいが有るとか無いとか、人の役に立てているとかいないとか考えていたのは若かったからであって、今も続けていれば良かったのかなあ、検査技師の仕事がしたいなあと思うこともある。でも今の仕事も楽しい。