【続】発達障害だっていいじゃない  ~鬱な私と4人の子供達~

発達障害の子供達も成人したので、これまでのことも書きつつ、50代からの奮闘の毎日をつづります。

結婚しないという選択肢

 

おばあちゃんに席を譲ったら

今朝、鍼灸接骨院に行くと、土曜日診療だったからか小さな待合室は満員だった。足の悪いおばあちゃんが来たので、ヤングな私は席を譲り、本棚に足を向けた。

 

整骨院の先生のコレクションの漫画が並ぶ中、1冊だけ小説みたいな本があった。タイトルの漢字が読めなかったので、手に取って読んでみる事にした。「神さまの橇(そり)に乗って」という本だった。

 

ざっと読んだところ昭和17年に北海道で13人兄弟の次女として生まれた作者がキリスト教カトリック)と出会い上京して洗礼を受け、寮付きの特別養護老人ホームで50年看護師を務めたという自叙伝だった。

 

筆者が目の前に現れた

本に夢中になっていると背後からいきなり声をかけられた。

「それ私の本なの!」

私がさっき席を譲ったおばあちゃんだった。

「ええ!お母さんの本だったんですか~!」

「そうなの。プロの方に編集を頼んでね。こちらの先生にも読んでもらいたくて差し上げたの。」

 

まずびっくりしたのは、パソコンについての記述。おばあちゃん自身がパソコンで原稿を作り編集者の人に送り、修正してもらい書き上げたそうだ。

 

「お母さんパソコンお得意なんですね!」

「60歳から10年習ってたの。」

「へ~すご~い。」

「でも今は殆どスマホだけどね。」

「えっそうなんですか。今度ゆっくり読ませていただきますね。」

そんな会話をした。

 

もう一つ、びっくりしたのは私の母が昭和16年生まれでひとつしか違わないからである。母はもうすぐ80になる。しばらく会ってないがこんなに小さくなってしまっているのだろうかと失礼ながら勝手に自分の母と重ねてみていた。

結婚しないという選択

さらに驚いたのは別の所である、キリスト教の洗礼を受けたのは3回の食事と寝る所も仕事もあるところと、結婚もしなくていいし、子供も産まなくていいからだと書かれていた。

 

その年代の人で珍しい。戦争で男の人が沢山亡くなって、結婚しない女性が大勢いたと、授業で習った。その女性たちは戦争の被害者だと言われていた。しかし筆者は自分で希望して選んだのである。

 

「母や叔母や祖母たちが子供を沢山産んで苦労するのを見てきたからそれが嫌だった」と書かれていた。その考えをその時代にやり通すのは難しいことだと思う。

 

自分には考えたことも無かった。適齢期になったら結婚して、子供二人くらい産まれて、子供たちが成長して、おばあちゃんになるもんなんだろうと、安易に考えていた。結婚しないという選択肢は自分にはなかった。がしかし後悔はしていない。誰かから「単に結婚する相手を間違えただけです。」と言われても今更遅い。後悔などしたら子供達に失礼な気がする。

 

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