根源
今朝は書きなぐって時間になってしまったので、説明を加えないといけない部分が多い。何故父の言うがままに隣の家に住んだのか?なぜ母に度々お金を貸したのか?自分でもわからないが、おそらく私は弟と同じ程度に可愛がられたいと思っていたこと、またそういう両親に育てられたために、親にお金を貸すのは普通のことだと思っていたこと、などが大きく影響していた。
書留
都営住宅に引っ越しをしてから5~6年後の7月のある日、郵便屋さんが書留の配達にやってきた。差出人は主人の兄だった。義兄とは主人の2回目の手術の頃から不仲になり疎遠になっていたため、中身をみるのが怖かった。
多少いろいろな場面を想像していたがこれほどショックな出来事は滅多にないだろう。主人の父が1年近く前に亡くなっていて、遺産分割のハンコを1か月以内に押せというものだった。
財産分与の内容もひどいもので愕然としたが、それ以前に、いくら離婚していたとしても私の息子たちの実の祖父が亡くなったのだ。亡くなって1年近くたってから初めて連絡をしてきたと思ったら遺産分割のハンコのことだ。子供たちが何をしたというのでしょう?住所もわかっているなら、亡くなった時に呼んでくれるのが筋ではないのか。
今更言っても仕方がないので、以前からお世話になっている弁護士さんに相談することにした。無論、義兄の思い通りにさせるわけにはいかなかった。
弁護士さんはすぐに義理の兄の公認会計士さんと会ったり、裁判だってする覚悟であることなどを伝えてくれた。
義姉
そんな最中、義理の姉が亡くなった。主人は3人兄弟の末っ子だったのだ。
主人の家のなかで姑以外で唯一優しかった義理の姉が、61歳の若さで急死した。原因はおろかいつ亡くなったのかもわからない。また今度も子どもたちは肉親と会えずじまいにされた。
お義姉さんが亡くなったことで事態はさらに複雑化したが、お義姉さんの息子さんと娘さんが味方をしてくれた。
あまり細かいことまではかけないのだが、裁判にはせずに子どもたちが法律上もらえる最低限いただいた。
狂気
そのあと大変なことになった。ご想像のつく方もいらっしゃるかもしれないが、私の実の両親という名の金の亡者が黙ってはいなかった。
主人の父からの遺産は、子どもたちのものであり、私のものではない。
にも関わらず、「前から言おうと思ってたんだけど、ローンの利子が高いから残りの800万貸してもらおうと思ってるんだ!」と父。その場で返事をせずに弁護士さんに相談した。弁護士さんも呆れはてていた。「とにかく、そんなことできないと断りなさい」と言われ、勇気を出してできないと伝えたのだった。そこから金の亡者は怒り狂い始めた。
これまでのお話し↓↓↓
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